丸山福山町

提供: nigowiki
移動先: 案内検索

 樋口家が荒物業を辞めて下谷龍泉寺町から明治27年1894年)5月1日に引っ越した住所は、丸山福山町4番地(現在の西片1-17-17)である。一葉が阿部邸の山と呼んだ本郷台地の西側の崖下に位置する。

建物とその周辺

 元々の建物は鰻屋の守喜の離座敷である。入口の戸には上半分に赤・緑・紫の色ガラスが嵌められていた。玄関は土間でその左隣に差し掛けがあり増築された台所がある。玄関を上がって左側は壁と板戸があり、左手奥には四畳半。右手には六畳二間がある。六畳二間の南側に三畳ほどの池があり、芭蕉が茂っていた。孤蝶の記憶では、明治20年代にはこの辺りに釣り堀があり、その跡地の可能性があると指摘した。

 住居の入り口には、一方に武者窓の平屋(守喜の母屋の跡)、もう一方に薪屋があり、門の近くに大きな柳の木があった。入り口から大溝の橋を越えて、突き当たりの左に一葉宅があった。表札には「樋口」と名字だけが書かれていた。

一葉宅への訪問者

 文学界の人々などが一葉宅を訪れた。特徴としては男性客が多いことにある。平田禿木馬場孤蝶戸川秋骨大野洒竹島崎藤村大橋乙羽、。川上眉山関如来泉鏡花徳田秋声野々宮菊子大橋時子安井哲子横山源之助斎藤緑雨幸田露伴三木竹二副島八十六伊東夏子などが訪れていた。

 一葉は来客者が直接立ち会わないようにしばしば配慮していた。一葉宅は玄関の左側に四畳半一間と右側に六畳二間があり、玄関で来客者を振り分けていた。明治29年5月29日に先客で横山源之助がいたため、後から来た斎藤緑雨を別の間へ誘導した。

  • 引手茶屋の伊勢久の木村ちよから福山町の家を紹介されたという説がある。
  • 一葉宅はうなぎ屋の守喜の離れ座敷として建てられた。
  • 銘酒屋の鈴木亭と同じ敷地内にあり、池を共有していた。
  • 森田草平が明治36年11月末か12月に偶然にこの家に下宿し、後に一葉宅であることを知った。森田が住んでいた時期に、馬場孤蝶夏目漱石は明治40年にここで初めて会った。
  • 漱石の小説『門』の崖下の家は一葉宅をモデルとしたとされる。主人公の宗助とお米が崖下の家に住み、大家の坂井が崖上に住んでいる。
  • その後、笹田誠一がこの地の所有者となり、昭和27年9月に旧居跡の近辺に記念碑を建立した。