久佐賀義孝

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 1864年(元治元年)熊本生まれ。本名は満吉。久佐賀義孝は天啓顕真術による占いを行っていた。

 清国、インド、アメリカを放浪して、明治19年に帰国。その後、神習教の権大教正の佐藤観元と剽窃問題で神道八派から教職を剥奪された。そのため、東洋のメスメリズムと称して本郷で「顕真術会」を創設し、会員3万人を集めたといわれる。相場師からの相談も受けていた。

 明治27年1894年)2月21日朝日新聞六面に顕真術の広告記事が掲載。下谷龍泉寺町の荒物屋の商売が落ち込んだ時期に、一葉はこの記事を見て、2月23日に一葉は秋月という仮名を語り久佐賀義孝を訪問。相場をやるための相談。申年生まれの23歳、3月25日生まれと伝えると、一葉には金運がないため、相場師には向かないと指摘した。また、一葉は久佐賀義孝に金策を相談するが、妾となるならと言われ、断っている。

  • 『京浜実業家名鑑』442頁に彼の項目があり、当時の実業家として著名だった。
  • 自宅には電話が引かれていて、一葉が会ったときも電話を使っていた。明治27年の横浜東京電話交換加入者名簿では、電話番号は923番。