佐々木信綱

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 明治5年6月3日(1872年7月8日)三重県鈴鹿石薬師生まれ、1963年(昭和38年)12月2日没。国文学者・歌人。竹柏会主宰。明治期からの和歌の革新運動を導いた一人。明治15年1882年)に父と共に上京し、神田小川町に住む。8歳頃からすでに歌が雑誌に掲載されていた。

 明治18年1885年)に松永政愛宅で面識がある。当時二人は13歳ほどで、一葉は松永宅で妻から裁縫を習い、信綱は父が歌を教えていたことから同行して松永宅を訪れた。この当時から信綱は歌を詠んでいた。

 信綱の父は歌人の佐々木弘綱で、一葉の父は一葉を佐々木弘綱に弟子入りさせることも考えていたが実現しなかった。

 佐々木信綱は萩の舎の歌会に点者や判者として参加した。一葉とは面識があったものの、実際に言葉を交わしたのは明治27年11月9日の萩の舎の納会で、一葉はその日の日記に書いている。平田禿木によると、一葉は竹柏会にも参加することがあったのか、竹柏会の様子を話していた(『禿木遺響文学界前後』128頁)。大橋時子は竹柏会で短歌を学んでいたが、一葉に短歌の添削をしてもらっていた。

 一葉の死後、信綱は17回忌に樋口邦子から一葉の歌集の編纂を依頼され、大正1年に『一葉歌集』として博文館から出版された。

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