依田学海

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 天保4年11月24日(1834年1月3日)八丁堀生まれ、明治42年(1909年)12月27日没。佐倉藩士・漢学者・小説家。

  • 年下の文学者から慕われ、坪内逍遥二葉亭四迷、徳富蘇峰、森田思軒、内田魯庵尾崎紅葉幸田露伴が自宅に出入りしていた。
  • 一葉は依田学会の『十津川』を関悦子に借りて読んだ。
  • 森鷗外の漢文の師。鷗外の『ヰタ・セクスアリス』の文淵先生のモデル。
  • 村上浪六に「浪六茶屋」と記した看板を送った。
  • 明治29年10月24日、千駄木の観潮楼に森鷗外を訪問して、幸田露伴と共に小説の批評会。依田の日記の欄外にその日の話として次の記述がある。「この日きく。小説をもて名聞こえたる樋口一葉女、久しく肺病にて病院に在りしが、この頃危篤のよしをきく。この女子の作は、にごりえ、たけくらべの二篇尤も妙なり。母に孝にして、戯作の作料をもて家計を助くといふ。その兄は放蕩にて家をつぐべき人にあらずといふ。いとおしむべき女子なり」
  • めざまし草」の評者として「天保老人」と称した。
  • 福地桜痴と共に、急進的な改良演劇を提唱し、素人の井伊容峰などが参加する男女混合演劇や済美館の運動を指導した。
  • 『学海日録』第10巻では、飯田町の仁泉亭で海水浴あるいは海潮浴をたびたびしている。119頁、271頁、272頁。
  • 『学海日録』第10巻24頁によると、隣宅に佐々木信綱が住んでいて、交流があった。
  • 佐倉藩出身には、津田梅子の父・津田仙がいる。