内田魯庵

提供: nigowiki
移動先: 案内検索

 慶応4年4月5日(1868年4月27日)江戸下谷車坂六軒町生まれ、昭和4年(1929年)6月29日没。小説家・評論家・翻訳家。本名は内田貢太郎。

 明治21年1888年)、巌本善治の「女学雑誌」掲載の評論「山田美妙大人の小説」が最初の著作。明治22年1889年)ごろに尾崎紅葉からドストエフスキーの名前を聞き、丸善で『罪と罰』を買い求めた。ドストエフスキーの『罪と罰』の前半部の最初の翻訳「巻ノ一」を明治25年1892年)11月に出版、「巻ノ二」を明治26年1893年)2月に出版。樋口一葉は魯庵版『罪と罰』を何度も繰り返し読み、「にごりえ」の創作に影響を与えたと考えられている。

 内田魯庵は一葉と面識はないが、一葉の周辺の人たちとの交流があった。魯庵は明治22年1889年)頃から田辺花圃と知り合い、文通するまでの仲になった。花圃が10人の優れた女性作家として選ばれたときには、『ベーコン文集』を送った。その後、魯庵は花圃に求婚したが断られた。斎藤緑雨とは新聞社からの依頼を緑雨が橋渡ししたことから親しくなり、著書の中でも緑雨についてたびたび言及した。川上眉山とも交流があった。森鴎外とも親しく、たびたび訪問して会話を交わしていた。