前島きく子

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 明治5年9月28日生まれ。前島密の次女。姉の不二子、三女・武都子(睦子)と萩の舎に通っていた。前島菊子や前島起久の表記もある。明治24年11月21日に理学者・松島鉦四郎(明治21年1888年)帝国大学地質学科卒・一高教授)と結婚。

  • 華族女学校に通っていたが、前島密が改進党に関係したことから謀反人の子とされ妹の睦子と共に退学した。
  • 結婚後も交流があり、『女学雑誌』第306号(明治25年2月27日発行)を一葉に貸した。
  • 松島と結婚する二日前の明治24年11月19日に前島邸で歌会が開かれ、一葉も参加。前島家の住所は小石川区音羽町7丁目。
  • 明治23年の電話加入者人名表では、前島密宅には電話機があり、248番が割り当てられていた。
  • 姉妹の中に養女・松(マツ・まつ子)(明治9年1月生まれ)がおり、明治40年(1907年)に小山作之助と結婚。『鴻爪痕』の1955年と1956年版に前島密の回顧録を残した。
  • 父・前島密は越後出身で江戸に出て学び、鹿児島の藩校開成所で蘭学を教えた。その後に幕臣・前島家の養子となり、幕臣・清水与一郎の娘の仲子と結婚した。早稲田大学前身である東京専門学校の創設に関わった(日本郵政・前島密年譜)。前島密は書、画、尺八、詩、囲碁、造園などの素養があった。造園は自身が行い、娘たちにも手伝いをさせた。

前島きく子の和歌

  • かきくらし降とはすれとあわ雪のつもらぬ春に成にける哉 (『樋口一葉全集』第4巻上、365頁)