加藤千浪

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 文化7年11月19日奥州白河生まれ、明治10年11月18日没。国学者・歌人。通称は加藤弥三郎・弥助。号は萩園。

 江戸末期の著名歌人の一人。岸本由豆流(きしもと・ゆずる)の許で国学を学び、同門の歌人・井上文雄と親交があった。

 慶応元年頃に中島歌子は入門。伊東祐命と歌子は加藤の門下で知り合った。この他に門下には、鶴久子、吉野吉巻、笹村良昌がいる。

  • 江戸に出てから萱場町の名主の援助により国学を学ぶ。
  • 当初は萱場町に住んでいたと思われるが、晩年の著作での住所は、日本橋数寄屋町2番地。

加藤千浪の歌

なやらふと雲居にとよむ宮人の聲のゆくへに春風ぞ吹く
心してみれば教となりにけり道をたがへぬ蟻のゆききも
酒呑みはとかくあとをばひき蛙かへるかへると云えど帰らず
立かへる浪の花をば散らさじとしばしはたゆむ須磨の浦風
春日山おろす嵐に甲斐が嶺の雪もたまらずなだれけるかな

 上記は福井久蔵『和歌連歌俳諧の研究』、山一書房、昭和18年、119頁に掲載。