北村透谷

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 明治元年11月16日(1868年12月29日)小田原生まれ、明治27年1894年)5月16日没。詩人・評論家。本名は門太郎。文学界同人。自由民権運動に参加した数少ない文学者の一人。

 一葉との面識はないが、穴沢清次郎によると、一葉は次のように語ったという。「北村透谷には逢つてをりませんが、大へん尊敬してをり、透谷がはじめて、一葉さんを訪ねようと砲兵工廠の近くまで来て、気がかはり帰宅後自殺しましたので、お目にかかつたら、あるいは自殺しなかつたかもしれないと、残念そうに話してをりました」。

 明治25年2月6日、20日に『女学雑誌』掲載の「厭世詩家と女性」から透谷の主要な文壇活動が始まり、評論を中心として明治27年5月までの2年間の僅かな期間だった。小説には、『我牢獄』、『星夜』、『宿魂鏡』がある。最晩年の著作は『エマルソン』。

 『文学界』の第一期は北村透谷の評論に代表される。「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(明治26年1893年)2月28日)、「内部生命論」(第5号・明治26年1893年)5月31日)。

  • 自由民権運動に参加していたが、明治18年1885年)の大阪事件を機に運動から離反した。
  • 川村邦光は『性家族の誕生』で北村透谷が『南総里見八犬伝』の伏姫に「処女の純潔」を見出していると指摘。
  • 友人の石坂公歴は樋口泉太郎と同じ時期に濠西精舎に在学していた。透谷は公歴の妹ミナと結婚したため、二人は義理の兄弟。
  • 透谷は尾崎紅葉幸田露伴に対して批判的な論説を発表した。