吉田かとり子

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 漢字表記では、吉田縑子。萩の舎の同人。夫は尾張徳川義礼の元家令・吉田知行で白水炭鉱開発に参加。

 日記「若葉かげ」の冒頭では、明治24年4月11日に吉田かとり子宅で行われた歌会の記録で始まる。夫の病気で萩の舎に通うことができないことから、中島歌子が弟子を伴って訪問して行われた歌会だった。当時かとり子は47歳。4人の子供。住まいは本所区向島小梅村140に三階建ての住居。歌会の後、かとり子の妹の久子が琴を弾いた。近く隅田川ではボートレースが開催されていた。住所は向嶋小梅村百四十番地。

 明治26年3月16日にかとり子からの手紙がきて、明治25年3月12日の梅見の思い出が書かれていた。一葉はかとり子の夫の芸者遊びを言及している。

明治24年4月11日吉田家集会

 日記「若葉かげ」の冒頭で描かれた吉田かとり子宅で明治24年4月11日に開催された歌会。出席者は小笠原艶子田辺龍子伊東夏子島尾広子、(田辺朔郎の妻)田辺静子、某つた子、高田不二子、小川信子、田中みの子前島菊子、村岡花子、吉田かとり子、中島歌子加藤安彦、樋口一葉。中島歌子が点者となり、参加者はそれぞれ優秀作を選んだ。