小出粲

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 (こいで・つばら)天保4年(1833年)8月28日生まれ、明治41年(1908年)4月15日没。 石見浜田藩士。荒木寛畝の下で絵を学ぶ。宝蔵院流槍術の皆伝を受けている。瀬戸久敬門下の歌人。御歌所主事。本名は松田、幼名は新四郎、雅号は梔園(しえん)。明治15年頃、牛込区肴町45番地在住。明治31年には小石川区小日向水道橋町1丁目75番地。

 東京府の官吏を務めていたが退職。浜田藩出身で会計検査院の川鰭等(かわはたひとし)の紹介で、高崎正風と知り合い、明治10年12月に宮内省文学御用掛を命じられる。明治31年には、伊藤佐千夫と「非新自讃歌論」論争(正岡子規は小出粲側についた)。明治35年に歌の雑誌「くちなしの露」を創刊。明治39年に森鴎外の設立した歌会の常磐会に選者として参加、山県有朋との交流を持つ。

一葉との交流

 萩の舎の納会などに頻繁に出入りし、評者として指導的な立場にあった。伊東祐命とは同郷で以前からの知人。萩の舎では、歌子を初めとして呼び捨てにする豪快な人物だった。一葉は明治26年1月1日に中島歌子の依頼で小出宅に歳暮を届けている。そのときの住所は小石川区水道端町1丁目75。

 田中みの子と料亭を出入りする姿が目撃され、萩の舎内で話題となった。田中みの子が面倒を見ていた書生は小出に対して立腹したことがあったが、みの子らが小出の歌などを示して小出の素性を語り喧嘩にはならなかった。

  • 自身の著書が出版されたときには、それを一葉宅にまで持参することもあった。
  • 樋口一葉の歌を評価し、歌道に進むようアドバイスをしていた。

小出粲の歌

をしみつつ春の胡蝶の夢覚し朝風さむし蝉の羽衣 佐々木信綱編『詠歌自在』東雲堂、明治26年6月、84頁。
木枯らしの声のみ空に響きつつ残る一葉も無きが悲しさ 『くちなしの花・続編』

その他

  • 門下には、須川信行、外山且正がいる。