平田禿木

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 明治6年1873年)2月10日に日本橋生まれ、昭和18年(1943年)3月13日没。本名は平田喜一。文学界同人。英文学者で翻訳家。

 一葉の小説「雪の日」は禿木が三宅花圃を通じて「文学界」への掲載を打診した。その後、禿木は「文学界」同人として最初に明治26年1893年)3月21日に一葉の本郷区菊坂町の家を訪ねた。禿木は文学界の連絡係として対応することになる。次の訪問は下谷龍泉寺町に引っ越しをしてからで、禿木の訪問を喜び、源氏、近松、西鶴などを熱心に論じる姿を見て、禿木は真の一葉を見出した。[[馬場孤蝶と共に一葉宅を頻繁に訪れた人物の一人。一葉は禿木が「文学界」第1号に掲載した「吉田兼好」[1]を読み、彼を評価している。禿木は幸田露伴を高く評価していたため、一葉と露伴について論じていた。

 禿木によると、彼と一葉との交流は距離があり、文学界同人の中では馬場孤蝶と一葉との仲がよかったと証言している。一葉との交流が始まった時期には、禿木とも親しくしていたが、馬場孤蝶が次第に一葉と話が合うようになった。一葉自身も晩年には禿木に対して冷静な評言をするようになっている。

 文学界同人の中では、北村透谷島崎藤村尾崎紅葉硯友社グループおよび幸田露伴に対して批判的な立場を取っていたが、平田禿木は紅露文学を評価し、中でも幸田露伴を高く評価していた。

 第1号に掲載された巌本善治の「文章道」への不満から巌本の投稿を今後は謝絶するように星野天知に求めた。その結果、星野天知は巌本の投稿を断り、その後は文学界が独立した雑誌となった。

トピック

  • 平田禿木の養父は改進党の党員と親交があり、島田三郎とも親交があった。『文学界前後』11頁。
  • 平田禿木は12歳で共立学校に通い、高橋是清が共立学校の初代校長だった。一時期は星野天知の家から学校に通うこともあった。
  • 明治20年、日本橋教会で星野天知と共に北原牧師から受洗。
  • プリマス・ブレザレン派の新神学へ星野天知と移り、その後に離教した。
  • 当時、禿木は星野天知の妹、星野ゆうに恋したが、星野家に反対された。
  • 落合直文から国文学を学び、源氏物語、雨月物語、徒然草などを読み研究した。
  • 明治28年5月10日には高等中学同窓会の帰りの禿木が酩酊状態で一葉宅を訪れ、一葉らと歓談。孤蝶にそろそろ帰ろうと促されるが、いやだと居座った。
  • 一葉家と交流のあった小林好愛の息子、小林愛雄は禿木の友人。
  • 禿木は一葉から半井桃水中島歌子の話を直接一度も聞いたことがなかった。
  • 平田喜一住所として、「池之端七軒町三十番地 小嶋方」とある(『樋口一葉全集』第三巻(下)、746頁)。明治27年2月4日禿木宛書簡。
  • 和田芳恵は晩年に病床にあった平田禿木から文学界で一葉の恋人の可能性があるのは馬場孤蝶だろうと指摘した。

脚注

  1. 『文学界前後』16頁で、上野の図書館で書物をあさった成果だと記している。禿木は一葉よりも先に上野の東京図書館の常連だった。

外部リンク

  • 『禿木遺響文学界前後』、四方木書房、昭和18年。