明治天皇

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 嘉永5年9月22日(1852年11月3日)生まれ、明治45年(1912年)7月30日没。

 明治天皇は孝明天皇から歌の指導を受け、生涯に9万3,032首の歌を詠み、皇后も「絶大の歌聖」と呼ばれ、歌道に熱心だった。その影響で上流階級の女性の教養として和歌が学ばれていた。萩の舎は私設の歌塾だったが、天皇と関連の深い人々も多く、明治期の和歌のブームの中で多くの子女を集めることになった。

 宮中では歌に関連した機関が設置され、次第に整備されていった。明治2年1月24日には、最初の歌会始。11月には宮中の歌道御用は侍従候所で行われ、三條西季知がその任に当たる。明治4年1月、宮内省に歌道御用掛が設置、福羽美静が拝命。明治9年1876年)10月に歌道御用が廃止となり、歌道御用と皇学御用の担当として文学御用掛が設置。明治19年に御歌掛を設置し、御歌掛長に高崎正風が拝命。明治21年1888年)6月、御歌所が設置、高崎正風が御歌所長となる。

  • 天皇は週に50首から200首を詠み、それを御歌所に提出していた。天皇と皇后は宮中でも歌を奨励し、侍従や女官に毎日2首の兼題を与えていた。

一葉と天皇

  • 明治25年1892年)7月9日には、天皇は完成した鍋島邸の洋館に招待され、さまざまな余興が行われる。この時に中島歌子も出席した。