1888年・明治21年

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明治21年から転送)
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 一葉16歳。則義58歳。萩の舎に通い2年目。田辺花圃が『藪の鶯』を金港堂から出版して注目を浴びる。雑誌「都の花」が創刊される。前年に兄泉太郎が死去。樋口家は転居を繰り返し、年末になって父則義の事業が失敗することになる。下谷区上野西黒門町から5月に芝区高輪北町19番地へ転居(戸主:虎之助)。さらに9月に神田区表神保町2番地へ転居(戸主:一葉)。

  • この年から一葉は萩の舎の数詠の会合に参加し始めた。

主な出来事

  • 2月22日、一葉が樋口家の戸主となる。
  • 5月6日、一葉名義で上野西黒門町の住居が140円で売却。
  • 5月26日、芝区高輪北町19番地へ転居。
  • 6月16日、荷車請負業組合が東京府から認可。神田区錦町1丁目1番地に事務所開設。
  • 9月9日、神田区表神保町2番地へ転居。
  • 10月、本居豊穎編『大八洲歌集』大八洲学会に一葉の歌が萩の舎の先輩の歌と共に掲載。

政治・経済

  • 第一次伊藤内閣(1885年12月22日 - 1888年4月30日)
  • 黒田内閣(1888年4月30日 - 1889年10月25日)

同時代の出来事

  • 3月、高田早苗が前島密の長女不二子と結婚。
  • 4月13日、日本初の喫茶店・可否茶館が下谷区上野西黒門町2番地に開店。
  • 7月15日、磐梯山が噴火。大橋乙羽が現地取材を行う。
  • 9月、村野常右衛門が刑期を終えて出獄。
  • 9月8日、森鴎外がドイツ留学から帰国。
  • 9月12日、鴎外を追ってエリーゼ・ヴィーゲルトが横浜に到着(10月17日まで滞在)。
  • 11月1日、馬場辰猪がフィラデルフィアで死去。

同年生まれの人々

 同年生まれには、菊池寛(12/26)がいる。