1872年・明治5年

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 樋口一葉が生まれた年。則義42歳。日本の天保暦から太陽暦に切り替わりによって、明治5年12月3日を明治6年1月1日へと変更。樋口一葉の誕生日は西洋暦では1872年5月2日、天保暦では明治5年3月25日。

一葉の誕生

 一葉が次女の奈津(戸籍名)として生まれたとき、則義41歳、たき39歳、長女ふじ16歳、長男泉太郎9歳、二男虎之助7歳だった。邦子は二年後に生まれる。生誕の地は、東京府第二大区小一区(現在の千代田区)内幸町一番屋敷。東京府構内長屋。その後、6月頃に第五大区四小区下谷練堀町43番地(現在の千代田区神田練堀町)に転居。

 この年に、幕臣以来の名前の樋口為之助から樋口則義に改名した。

主な出来事

  • 5月17日、則義は社寺取調掛になる。

同時代の出来事

  • 4月3日(天保暦:明治5年2月26日)、和田倉門内の兵部省から出火。築地・銀座の大火。これがきっかけとなり、銀座煉瓦街が作られることになる。
  • 4月21日(天保暦:明治5年3月25日)、神祇省が廃止となり、教部省が設置。
  • 6月12日(天保暦:明治5年5月7日)、品川駅=横浜駅間が仮開業。
  • 10月14日(天保暦:明治5年9月12日)、新橋駅=横浜駅間が開業。
  • 天保暦:明治5年12月3日、この日を明治6年1月1日とし改暦グレゴリオ暦が採用された。明治5年11月9日(西暦1872年12月9日)に改暦詔書が発布され、すぐの施行となった。
  • この年のベストセラーは福沢諭吉の『学問のすすめ』とJ・S・ミルの『自由之理』(中村敬宇訳)。

政治・経済

  • 東京府知事・由利公正(1871年9月7日~1872年8月18日)
  • 東京府知事・大久保一翁(1872年5月25日~1875年12月19日)

※由利が免官される前に大久保が就任。

  • 明治初期は人口が激減し、15区で50万人ほど。明治5年以降は徐々に人口が回復していく。
  • 山梨県で農民一揆、大小切騒動(だいしょうぎりそうどう)が起こる。田安徳川家の家老となった鈴木重嶺が一揆を鎮静化に加わった。

同年生まれの人々

 同年の生まれには、交流のあった人々として島崎藤村佐々木信綱伊東夏子大野洒竹徳田秋声前島きく子(9/28)がいる。交流はなかったが、同年生まれには岡本綺堂。海外だと、バートランド・ラッセル、オーブリー・ビアズリーがいる。