乙骨牧子

提供: nigowiki
江崎牧子から転送)
移動先: 案内検索

 明治3年9月3日生まれ、明治45年5月6日没。萩の舎の塾生。父は君が代の歌詞を提案したといわれる乙骨太郎乙(おつこつたろうおつ)で、牧子は長女。弟に明治9年生まれの乙骨半二、明治14年生まれの乙骨三郎。江崎政忠と結婚して、江崎牧子。上田敏の従姉妹にあたる。日本画の素養もある。後にお茶の水女学校となる東京高等女学校を明治22年に卒業(同期生に田辺花圃)。

 乙骨牧子は萩の舎田辺花圃と親しく、二人が同席して牧子が寿司皿の赤壁賦の文字を何気なく口にしたところ、入門当時の一葉が赤壁賦をとうとうと読み上げたとエピソードで知られる。花圃によると、牧子はそんな一葉の不遜な態度を快く思わず、一葉に厳しく接したらしい。だが、その後は姉弟子として一葉は乙骨牧子を慕うようになり、個人的にも交流を持った。「筆すさび」では彼女のことを「風流洒落」と評している。

 明治24年1891年)6月15日の日記には、「まき子君への返事出す」との記載があり、個人的な交流があった。牧子は6月に結婚して岐阜に行ったが、明治24年1891年)10月28日濃尾地震が起こり、その後、一葉は彼女に連絡が取れないことを嘆いた。上田敏との交流が始まるときには、牧子の従妹と聞いたことで親近感を持ったとされる。

  • 結婚前の住所は、大塚辻町一番。
  • 明治26年2月10日に牧子が女児出産したと一葉日記2月11日にある。
  • 濃尾大地震の体験を綴った「おそろしさの日記」は『婦女雑誌』第2巻第4号(明治25年2月15日)、第5号(明治25年3月1日)、第7号(明治25年4月1日)に掲載。田辺花圃からも当時のモダンガールと評された。

乙骨牧子の和歌

  • 朝ことに咲まさりつつあさかほはきのふも今日もさかり成けり (『樋口一葉全集』第四巻上、361頁)
  • いとはやも帰る雁かな花もまたにほはぬ峯のくもにかくれて (『樋口一葉全集』第四巻上、367頁)

関連リンク