泉鏡花

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 明治6年1873年)11月4日生まれ、1939年(昭和14年)9月7日没。『高野聖』、『婦系図』などで知られる小説家。尾崎紅葉の弟子。一葉と会う頃は、大橋乙羽宅に下宿していた。

 一葉を初めて訪問する以前から、泉鏡花は大橋乙羽の妻の大橋時子から鏡花の小説「夜行巡査」を一葉が評価していることに喜んでいた[1]。その後、泉鏡花は一葉の晩年の一般書『通俗書簡文』担当の博文館の編集者として一葉宅を訪れる。鏡花も一葉と同時代の新進作家として注目されていたが、「文芸倶楽部」第12編臨時増刊号として女流作家を特集した「閨秀小説」には一葉の写真と小説「十三夜」が掲載され、その注目度の高さに鏡花は嫉妬していたといわれる。

 晩年に一葉宅を頻繁に訪れていたが、一葉の日記には泉鏡花の名前は一切現れない。一葉の日記の散逸部分に泉鏡花への言及があったのではないかと言われている。明治29年には一葉宛に手紙を書いているが、一葉側の反応は不明。一葉が亡くなる数日前に見舞いに訪れたが、病状から玄関での挨拶となった。一葉の死後、泉鏡花は大橋乙羽宅に身を寄せていた樋口邦子と親しくなった。その際に日記から散逸したとの和田芳恵の説がある。

 『薄紅梅』16では、小説の中で丸山福山町での描写があり、一葉が湯呑みで酒を飲んで、それを黙っていてくれと話している。母たきは酒が好きだったといわれているが、一葉が酒を飲んでいたという唯一の記録である。鏡花が酒を覚えるのは一葉の死後。

  • 明治41年から明治44年にかけて鏡花会が結成され、料亭などで9回の会合が行われた。発起人は田島金次郎で、田島が海外赴任後は長谷川時雨が世話人となった。その参加者に、江木定男喜多村緑郎がいる。
  • 一葉の死の前後に書かれた小説に鏡花の『照葉狂言』がある。読売新聞に明治29年1896年)11月14日~12月23日に連載された。
  • 鏡花が一葉に送った書簡が残っている。往復書簡の途中のため、文脈が不明になっている。一葉に対して、桐生悠々は「知り合い」だが鏡花は「ともだち」との比較を行う箇所がある。

関連リンク

  • 一葉の墓 - 一葉の墓地を訪問した鏡花の随筆。当時の墓参の様子や墓石に刻まれた名前などの言及がある。

  1. 「夜行巡査」としたのは泉鏡花の間違いで、「外科室」を評価したというのが事実ではないかとの井狩章の説もある。