田口卯吉

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 安政2年4月29日(1855年6月12日)生まれ、明治38年(1905年)4月13日没。自由主義経済学者・政治家・実業家。

 田口は乙骨牧子の父乙骨太郎乙と幕末に下谷で近隣であったことから親交を持ち、その後、沼津兵学校へ赴任していた太郎乙に誘われ、沼津兵学校に入学。同時期に中根淑の漢学塾にも学ぶ。兵学校では島田三郎とも知り合い、尺振八(スペンサーの翻訳者)の共立学舎にも二人で入学(渋江保も共立学舎の出身)、嚶鳴社設立時には二人が発起人となった。

 一葉が上田敏と知り合った頃、上田敏は田口宅に寄宿していた。その当時、田口は明治27年の第4回衆議院議員選挙で東京8区で当選し衆議院議員だった。

  • 漢学を中根淑、英語を乙骨太郎乙、経済学を尺振八から学んだ。
  • 嚶鳴社に参加し、自由党の機関紙「自由新聞」の編集者にもなった。
  • 明治10年代には北海道開拓論を提唱した。
  • 自由貿易論者の代表で、保護貿易論を提唱した福沢諭吉とは対立する。
  • 明治13年の「東京論」など都市計画を論じ、市区改正事業計画に影響を与えた。
  • 明治23年1890年)の士族授産金問題では、士族による南洋開拓を計画し、東京府士族から私物化していると糾弾された。
  • 明治23年1890年)5月14日に出港した帆船天祐丸に乗り、小笠原父島、グアム島、ヤップ島、パラオ島、ポナペ島を8か月に渡り巡行して調査した。