田辺太一

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 天保2年9月16日(1831年10月21日)生まれ、大正4年(1915年)9月16日没。幕臣・外交官。号は蓮舟。田辺花圃の父。幕府外国奉行所組頭。岩倉使節団の一等書記官として派遣。

 一葉は花圃宅を訪れたときに太一とも面識を持った。花圃が父の自慢をすることに一葉は嫌悪感を持ったこともある。太一は福地源一郎との吉原通いや役者との交流など派手な生活を送り、借金が多かった。花圃の『藪の鶯』の執筆のきっかけのは太一の散財で兄の一周忌の費用が足りないためだった。

  • 函館戦争では旧幕府軍側で横浜での資金集めに奔走した。榎本武揚とは、若き頃からの友人で、父の田辺石庵のもとに武揚は儒学を学びに来ていた。 台湾出兵時には、明治政府内で非戦論の立場を取った(高崎正風は主戦論者)。
  • 太一は島崎藤村に漢詩を教えた。 薩摩に対しては廃仏毀釈や政治方針などに批判的だったが、直接の抵抗は行わなかった。
  • 依田学海と交流があった。