祐天仙之助

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 文政元年(1818年)頃生まれ、文久3年10月15日(1863年11月25日)没。幕末の侠客。別名に山本清儀、山本仙之助。山本勘助にちなんで山本と改称したとされる。

 則義あやめに江戸行を勧めたとされる。祐天は幕府から追われる身だったが、真下専之丞が甲州人であることから援助し、勝沼に戻れるように手配をした。この時期に、祐天は則義と会い、江戸へ出ることを勧めたとされる。その後、祐天は真下専之丞の依頼で浪士組に参加することになる。浪士組は後に新徴組と改称。

 小寺玉晁によると、新徴組二十番・大村達尾(当時19歳)の仇討で千住の旅籠屋の広瀬屋で殺害された(その当時、祐天は新徴組八番小頭)。助太刀は藤井鬼一郎。墓所は墨田区の報恩寺。大村は祐天の子分・菱山佐太郎(内山佐太郎)によって殺害。菱山は官軍に参加し、庄内藩につき戦った。菱山は日露戦争の時期まで生きていたとされる。祐天の部下には後にハワイに渡航し女王の用心棒となったものがいる。

  • 小寺玉晁 編『東西紀聞 第二』、pp.359、日本史籍協会、1917年。