網谷幾子

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 文化11年(1813年)生まれ、明治25年1892年)6月3日没。中島歌子の母。

 福島保太郎の娘。福島家の屋号が網谷で、幕末の川越の豪商。文政12年頃から幾子は川越城の奥御殿の側室・矢部氏登世に仕えた。天保3年、19歳で家主・中島又右衛門と結婚。天保10年頃、幾子は矢部氏登世から川越藩の隠し子・茂登の去就を相談され、中島又右衛門が弟・中島文左衛門に家督を譲り、その妻として茂登を迎えることになった。これ以降、中島家・福島家は川越藩の庇護を受けるようになり、経済的成功に至る。安政5年に中島又右衛門が死去し、その後は網谷姓を名乗る。

 幾子世代の繁栄によって、中島家は資産を持ち、鍋島家、三井家、藤田東湖などと交流を持つことになった。

  • 明治25年1892年)6月3日、幾子が逝去。6月6日、幾子の葬儀で200名以上が集まる。一葉と伊東夏子は輿脇として葬列の柩の横についた。