鍋島栄子

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 安政2年5月18日(1855年7月1日)京都生まれ、昭和16年(1941年)1月3日没。肥前佐賀藩主で後の侯爵の鍋島直大の継室。ローマで直大と結婚した。鹿鳴館の華と戸田極子と並び称された。娘の梨本伊都子と共に萩の舎で歌を学んだ。

 明治26年(1892年)7月9日に明治天皇が三階建てという当時珍しい永田町の西洋館の完成を記念して訪問。そのときに、中島歌子も同席した。この他、伊達宗城、徳川家達、細川護久、前田利嗣などが列席した。

 大橋乙羽は樋口一葉を通じて鍋島栄子などの書を掲載する依頼を行い、その後、出版された。

 一葉女史碑の建立の際には、石碑に彼女の名前も記されている。

  • 佐賀藩は長崎警護役を1年おきに努めたり、蘭学の導入も盛んであり、幕末には蕃書調所に次ぐ洋書730冊余り蔵書としていた。戊辰戦争では、イギリスから佐賀藩が輸入したアームストロング砲が活躍した。こうした海外への関心が鍋島家の伝統となった。山口太郎太の台湾の現地調査の支援を副島種臣と共に鍋島家が行った。