馬場孤蝶

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 明治2年11月8日(1869年12月10日)土佐郡生まれ、昭和15年(1940年)6月22日)没。本名は勝弥。英文学者、評論家、翻訳家。慶応大学文学部教授。兄は政治家の馬場辰猪

 明治11年1878年)5月26~27日に両親と年上の姪・安子(屋寿との表記もあり・慶應3年生まれ)と上京。孤蝶の姉・駒子は明治8年に福沢諭吉が媒酌人となって福沢諭吉の門下生の一人・草郷清四郎と結婚していて、孤蝶と両親は駒子の家に身を寄せた。その後、姪の安子は豊川良平と結婚し、両親は豊川宅と庭続きの家に住んでいた(本郷区龍岡町15番地)。孤蝶は一時期、高知の共立学校の英語教師として赴任し故郷に帰ったが、再上京したときには、両親と共に豊川の隣宅に住んだ。

一葉との関係

 一葉が伊東夏子と訪れたのは両親と同居していた本郷龍岡町の家である。  文学界のグループでは、孤蝶は一葉と一番親しい関係になったが、江州の彦根に教師として赴任し、それからは二人の間で手紙のやり取りが続き、お互いにふざけて孤蝶が状況の際には、必ず一葉宅を訪れていた。

  • 島崎藤村と明治学院時代の友人だったことから、馬場孤蝶と戸川秋骨の二人は「文学界」へ参加することになった。
  • 明治24年1891年)8月頃、小田原の酒匂松濤園で尾崎紅葉と偶然に初めて会う。
  • 明治24年暮れに両親を残して、英語教師として高知の共立学校に赴任。「文学界」第1号を高知で手にした。その当時は高知の鏡川の岸に家があった。
  • 明治27年3月12日、孤蝶は初めて一葉宅を訪問。雨上がりの午後に平田禿木に連れられて行った。
  • 明治29年1月7日、川上眉山は9時12分発国府津行きの汽車に乗るという孤蝶を新橋停車場まで見送りに行ったが、会えずに帰宅。眉山は後日、会えなかったという手紙を孤蝶に送った。
  • 川上眉山を何度か自宅に泊めたことがある。その時に孤蝶は南側の庭で得意の弓を眉山に教えた。
  • ゆく雲」の中に法真寺そばの桜木の宿の様子が描かれていると孤蝶は指摘した。
  • 『明治文壇の人々』(昭和17年、三田文学出版部)。