一葉女史碑

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 甲府市の慈雲寺にある一葉の文学碑。大正11年(1922年)10月15日に除幕式が行われた。

 題字「一葉女史碑」を杉浦重剛(東宮学問所総裁)が書き、幸田露伴の撰文を仮名書家の岡山高蔭が書いた。大正期の一葉関係の人々との結びつきを知ることができる。

 以前から樋口邦子は一葉の文学碑の建立を考えていたとされる。大正9年に邦子が先祖の墓参で大藤村に訪れた際、廣瀬正平が母たきの生家や親類縁者(古屋安平他)を案内した。その帰りに廣瀬正平廣瀬彌七の家に立ち寄って話をしたところ、横浜で生糸の貿易商として成功し資産があったことから、廣瀬彌七は一葉女史碑の建立の費用を負担するとの申し出た。この意向が邦子に伝えられ、一葉女史碑が建立されることになった。現在の石和町の小野石材店が制作。

一葉女史碑賛助人

 一葉女史碑の賛助人として下記の順で名前が彫られている。

京浜(順位不同)

幸田成行市村讃次郎前田朗子鍋島榮子三宅龍子中島藤子大森齢子天野多喜子日野西廣子高田早苗高田不二子中村禮子遠藤夏子熊谷はる子佐藤艶子下岡まつ子坪内せん子川上鷲子匹田たつ子安井哲子大橋時子生田春月生田花世與謝野寛與謝野晶子岡田八千代山川菊榮長谷川時雨平塚明子副島八十六上田悦子小川彌七半井洌佐佐木信綱坪内逍遥森鴎外内田魯庵鏑木清方土岐哀果茅野蕭々茅野雅子水上瀧太郎相馬御風河井酔茗三宅克己戸川残花中村古峡前田曙山大谷竹次郎和田利彦長尾豊高島米峯生田長江森田草平關如来徳田秋聲小嶋政二郎星野天知田中省三田山花袋小山田謙栗原古城柴田勝衛佐藤春夫生方敏郎岡野知十小林愛雄穴澤清次郎塙忠雄大橋新太郎大橋進一安成貞雄蒲原有明徳富健次郎横田地巴喜多村緑郎河合武雄久保田萬太郎入澤常子加藤明鳥加藤みどり平田禿木嶋崎藤村戸川秋骨馬場孤蝶田邊夏子河村菊枝辻村鑑福永渙眞山青果小山内薫五島駿吉横山健堂江木定男長田秀雄増田久子片山鑑子下田田鶴子飯田とく子斎藤竹子須藤おとり子星野男三郎高嶋平三郎

地方

長野幹、山口經治、赤松小寅、鈴木利平、田村喜作、岡島誘、奥山新次郎、斎藤繁八、田仲一郎、三井甲之、石塚末吉、野口二郎、澁谷俊、上野武國、飯田知房、堀内兼三郎、深川角藏、保坂政治郎、野尻理作、中村星湖、野澤保磨

親戚

田中爲重古屋安平雨宮源吉廣瀬運造古屋萬吉和田恒貞廣瀬正平廣瀬重太郎坂本三郎樋口虎之助樋口政次樋口邦子土田明廣新山憲一雨宮富士太郎

発起人(イロハ順)

萩原棟吉、萩原高太郎、萩原由太郎、萩原要平、萩原仙精、小野静、大河内好恵、岡源吉、柏原宇之吉、金子美表、玉川徳次郎、鶴田宗助、筒井亀太郎、筒井茂左衛門、益田勝俊、益田利三郎、綱野良作、志村藤次郎、樋口良吉、廣瀬彌七廣瀬敬治郎、荻原浩山、以上

除幕式と講演会

 除幕式の招待状は、廣瀬彌七、村長・小野静、馬場孤蝶の連名で出された。

 前日の大正11年(1922年)10月14日に、馬場孤蝶戸川秋骨半井桃水高島平三郎生方敏郎塙忠雄田中省三村松梢風関如来北野博美樋口邦子樋口悦は談露館に宿泊。この日の晩には、太田町の望仙閣で入峡文士の歓迎会が開かれた。

 開催日は大正11年(1922年)10月15日。午前11時から除幕式。(臨済宗妙心寺派の)恵林寺の棲悟寶嶽師大同師が衆僧を率いて読経。樋口悦(当時は早稲田大学法学部学生)が幕を引く。遺族が焼香。小野村長の祝辞、馬場孤蝶の祝辞演説。高島平三郎が祝歌を詠読。阪本三郎が遺族親族代表で謝辞を述べて式が終了。その後、煙火、餠投げなどがあり、書院で昼食会。