戸川残花

提供: nigowiki
移動先: 案内検索

 安政2年10月22日(1855年12月1日)生まれ、大正13年(1924年)12月8日)没。残花は雅号。本名は隼人、達若、安宅と変わった。評論家・キリスト教牧師。

 娘の戸川達子萩の舎に入門し、翌年明治28年1月15日に達子が一葉宅を訪問するようになった。同年1月20日に戸川残花自身が一葉宅を訪問し、当時入社して編集者となった「毎日新聞」への原稿依頼、後に「軒もる月」として掲載された。その後に戸川残花とも交流を持つようになり、ドストエフスキー作『罪と罰』(内田魯庵訳)を一葉に貸した。一葉の結婚相手を探そうともしていた。

  • 毎日新聞では俳句欄の担当者の角田竹冷と知り合い、門下となった。その後、岡野知十と俳句結社・秋声会を作り、明治29年11月から雑誌「秋の声」を創刊した。