読売新聞

提供: nigowiki
移動先: 案内検索

 明治7年に創刊。一葉の作品「うつせみ」や随筆が掲載された。

 読売新聞の関如来が「月曜附録」に一葉の作品の掲載を依頼した。また、主筆の高田早苗明治29年の新年会に川上眉山の肩を叩いて、一葉との結婚では仲人にならせてくれ、と冗談を言ったという日記の記述がある。同年の6月20日に高田早苗の依頼で川上眉山が一葉宅を訪ねて、「読売新聞」への入社を打診されるが、一葉はすぐに断っている。

 明治20年高田早苗が主筆となり、坪内逍遥、さらに幸田露伴尾崎紅葉を呼び、文芸欄を充実させた。その後、明治23年幸田露伴が「国会」紙に移り、尾崎紅葉硯友社のグループが文芸欄を仕切ることになった。

 一葉一家では読売新聞の購読期間は明治26年4月1日から一ヶ月で、5月には国会に変更した。

  • 明治22年7月16日の読売新聞に則義死去に伴う虎之助の会葬の礼が掲載。
  • 読売新聞の子安峻が紅葉館の開設者であったことから、新聞社の行事が紅葉館で行われることが多かった。